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Global Moms Network (グローバル・ママ・ネットワーク)は「世界のどこにいても自分の能力を開花させ、逞しく生きていけるような子どもを育てたい」という意欲を持ち、身近な問題(ローカル)と同様に地球規模の課題(グローバル)にも関心を持っているようなお母さんたちのためのネットワークです。「これからの時代の子育て、教育」というテーマについて、
より包括的かつリアルな問題提起・貢献を行っていきます。

GMNマンスリー(第7回)

2020年の教育と子育てを考える
~モンテッソーリ教育、北欧の教育事情から学ぶ「人間力」の育みかた~

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  • 日時: 2012年2月18日(土)
  • 会場: アトムCSタワー8階、ホワイトギャラリー(港区新橋4丁目)
  • 時間: 13:00~16:00
  • 主催: 一般財団法人International Women’s Club JAPAN (IWCJ)


開催概要:

モンテッソーリ教育をご存知ですか?全員に適用するカリキュラムがなく、時間割もありません。試験がないから、採点もなく、成績表もありません。学年もなく、子どもたちは異年齢の縦割りクラスで課題に取り組みます。

 Googleの創始者のセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、Amazon.com創始者のジェフ・ペゾス、ウィキペディアをはじめたジミー・ウェールズ、『アンネの日記』著者のアンネ・フランク、英国の故ダイアナ妃などがモンテッソーリ教育を受けたことはよく知られています。多くの卒業生は、手先が器用でマイペース、他者への配慮に富み、知的独立心が強く、不要なパラダイムを壊してブレイクスルーをする力がある傾向も指摘されています。

 学力偏重の教育を抜本的に見直し、世界のどこにいても自分の能力を開花させ、たくましく生きていける子どもをどう育てていくかは、今後、社会全体で取り組まなければならない課題です。今回は、社会全体で教育に取り組むことにすでに着手している北欧の社会背景、および「人間力を育む」教育として注目を集めるモンテッソーリ教育についての実践を知ったうえで、10年後の日本の教育、そして社会について考えます。

 話し手は、地球一周の船旅をするピースボート洋上に世界で初めての洋上モンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」を立ち上げた小野寺愛さん。3ヶ月前に終えたばかりの北欧視察の報告を携え、モンテッソーリ教育をひとつの切り口に10年後の教育像を提案します。聞き手は環境とCSRにフォーカスした日本唯一のビジネス情報誌「オルタナ」副編集長の木村麻紀さんです。
 小野寺さんは4歳と2歳の女の子の母、木村さんは3歳の男の子の母として、理想の子育て・教育とは何かを模索中。参加してくださる皆さまとともに、2020年といわず、いま目の前にある教育や社会の問題に前向きな変化をもたらす方法を探りたいと考えています。

当日のレポート:

2月18日のGMNマンスリーをレポートします。「2020年の教育と子育てを考える ~モンテッソーリ教育、北欧の教育事情から学ぶ『人間力』の育みかた~」。小野寺愛さんと木村麻紀さんの対談を中心に、参加されたお母さん(と、数人のお父さん!)たちと一緒に教育と子育てについて考えました。

会場はアトムCSタワー8F。アトムリビングテックさんという家具や暮らしの道具を職人の技で作っている会社のショールームにある会議室。いわゆる会議室風でなく、美しいフォルムのいろんな形の椅子をなんとなく車座風に並べた、対談者と参加者が自然に溶け込めるような温かい感じの会場。

ジャーナリストの木村麻紀さんは、企業への取材を続ける内、社員が生かしていきいきとはたらき実績をあげている会社の共通の特徴に気付かれたとか。それは、その会社のトップが自分の生き方の価値観を大切にしながら、周囲の人にも気を配り、目標に向かってあきらめずにチャレンジし続けていること。

更に、そういう会社のトップにモンテッソーリ・スクールの卒業生の多いことに着目。グーグル共同創立者のセルゲイ・ブリンやアマゾン創立者のジェフ・ベソス、『アンネの日記』著者のアンネ・フランクなど。日本のオルタナティブ教育手法として注目することに。

「ピースボート子どもの家」代表の小野寺愛さんは、国際交流の船旅をコーディネートするNGO「ピースボート」に勤務して10年。世界平和のためにと大人向けの平和教育、環境教育プログラム作りに従事してきたが、母になってスタンスが少し変わる。生まれながらに目の前の人間と環境を信じる力に満ち、成長の努力を怠らない子どもたちに触れ、子どもたちに悪意をインプットせず、不要なものを『教える』ことをやめ、もともと持っているものを『引き出す』ことに徹すれば未来は良くなると着想する。子どもが持っているいいもの、生きる力を「ひき出す」教育を求めて出会ったモンテッソーリ教育を勉強しはじめた。また、仕事上、大人向けの教育プログラム作りも続ける中で、「未来世界を誰よりも考えているのは子育て世代では」と思い、子育て世代の30~40代にも安心して世界を旅してもらえるようにと、船の上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」を立ち上げた。

3.11の震災を経験して、いわゆる先進国である日本にいても、災害がひとつ起これば明日行く学校もなく食べ物もない世界が現出すると実感。しかも、気候変動などの影響でこうした災害は世界中で頻発するようになっていることもわかっている。「世界のどこにいても、なにがあっても逞しく、幸せに生きていける子どもはどうやったら育つのか」をテーマに据えた。

人格形成期である誕生から6歳までの子どものころに「あぶないから、それママがやるわ」「こぼすからやめておきなさい」と子どもの仕事を取り上げ、自分で考えることをさせず、大人になっていきなり広い世界に放り出され、自分で考えろと言われても、子どもは戸惑うだけ。知的自立は社員研修2週間ではできない。幼児教育から知的自立を促すべき。

小野寺さんは、スウェーデンとデンマークにも注目し、デンマークが世界一幸せなのはなぜかに関心を持っている。デンマークのある夫婦共働き家庭は広々した家と緑溢れる1000坪の庭を持ち、年5週間の休暇を海外・国外で過ごす。『素敵な暮らし、うらやましい』とため息が出るが、実はそれがごく「平均的な」家庭。

デンマークが1位になった英レスター大学の調査:国民の幸福度調査(2006年)では、日本は90位。この違いは何か。デンマークでは、出産に際し「あなたの子どもはあなただけの子どもではない。国家の財産としての子どもだ」という主旨のパンフレットが渡される。出産費用はもちろん、社会福祉・医療・教育は全て無料。
子ども手当年20万円に加えて、大学生は月9万円の修学支援金を受けとる。その負担として国民には64%の所得税と24%の消費税が科されるが、不満は少ない。国家予算の7割が社会福祉・医療・教育に使われる。

環境への十分な配慮をしながら経済成長もしているスウェーデン。首都ストックホルムでは、すでに化石燃料ゼロで全ての公共交通機関が運行されている。すべての住宅から300メートル以内に公園か川、森、海など自然があるように町が設計され、国立公園にも堆肥・畑がある。市場の約15%がオーガニック。ゴミは11分別で90年後半から家庭ごみのゴミ96%以上がリサイクルできている。「次の世代に手渡す世界は、主要な環境問題が解決された世界を」のスローガン(98年)の元、環境への取り組みを強化した結果。石油ショックまでは、この国も輸入石油にエネルギーの大部分を頼る国だった。

デンマークは、カロリーベースの食糧自給率が150%。車一台の値段が日本の3倍位だが、その分物を大切に使う。車は平均14年間乗る。政府の政策が素晴らしいのかと言えばそれだけではなく、風力発電の風車の85%は個人所有とのこと。デンマークでも、2050年までに電力の半分を風力でまかなうという目標を立てていて、おそらく達成可能。

フィンランドは、実は『北欧3国』には入っていない。言語的にも先住の人種的にもノルウェー・デンマーク・スウェーデンとは一線を画すが、最近、PISAというOECDの生徒の学習到達度調査で1位になり、一躍有名になった。90年代の初頭、国家財政破綻の危機にあった同国が、何に投資をすることで起死回生をはかったかというと、「わが国には人材という資源しかない」と決め、教育に投資することに。国家予算の大部分を教育に投資、国家カリキュラムは1/3に削減し、教員教育を充実させ、現場に大幅な裁量権を渡し、現場教育者が自由に創意工夫をこらして授業ができるように、しかもトップを伸ばすのではなく、落ちこぼれをつくらないという方針で、10年前より取り組んだ成果。90年代後半以降は、ノキアの世界的な成功、フィンランドに昔からあった老舗ブランドのマリメッコやイッタラの世界進出など、経済的にも成功して、先進国の一部入りを果たした。

ただ、現在は「over educated / 過教育」の問題が出てきているという話が印象的だった、と小野寺さん。大卒者のクリエーティブな仕事が十分でなく、トイレ掃除などの仕事には誰もつきたくない。結果として移民に任せているため、格差社会と移民問題がおきている。

オランダは、オルタナティブ教育が大変充実している。シュタイナーやイエナプランなど選択肢も多い。首都アムステルダムでは全小学校の10%がモンテッソーリ教育校。これだけの数になると、モンテッソーリの学校だけでなく、その存在や手法が他の学校にもいい影響を与えている。日本のように、先生が黒板の前に立ち、一方的に生徒に知識を与えるような授業風景には、紹介したどの国でも出会わなかった。

「そんな国々をめぐると、進んだ福祉・環境政策にせよ、生活の質にせよ、教育のありかたにせよ、思わず『いいなあ~』といううらやみの声がもれます。でも、うらやんでいたり、また、闇雲に日本の学校の先生の批判をはじめたりしても、何も変わらないのですよね。北欧で出会う方ごとに『その素晴らしい学校はどのようにして始まったのでしょうか?』「どうしてそんなに柔軟な教育システムが実現したのでしょうか?」と聞き歩き、気がついたことがありました。どんな素晴らしい教育も、どこの国でも、はじめは心ある少数の親たちが小さく立ち上げたものだったのです。年月を経てその学校が大きくなり、モデルとさえ、少しずつ広がっていくことが多いと学びました」

モンテッソーリの考えかたは、空っぽのバケツに大人が知識を注ぎこむような従来型の教育とは違う。「子ども・準備された環境・大人」の3者がどれも等しく大切で、それが並列の関係にあるところがポイント。そこには(従来型の教育によくある)年齢別も一斉教育もない。年齢別のクラス編成も、一斉教育も、運営側の大人にとっては都合がいいかもしれないが、学び手にとってはあまり利益がない。異年齢の環境で子ども同士の助け合い・学び合いが起こるし、それぞれのペースで学びを進めることができれば、その分学びへの意欲も集中力もおのずと高くなる。モンテッソーリの環境では、子どもたちが自身で自分たちの作業に取り組むのが基本で、大人の仕事は学びのきっかけとなる環境の整備に尽きる。子どもがヘルプを求めた時に初めて大人がアドバイスを出しにいく。

もともと、この教育法はマリア・モンテッソーリがイタリアで1907年にスタートさせた手法。ローマの労働者の人々が暮らす地域では、夫婦共働きで、まだ幼稚園も普及していなかった。両親が働く間、いたずらばかりして「どうしようもない」子ども達をなんとかしてほしいと懇願され、モンテッソーリが試行錯誤をはじめた。叱って律するのではなく、子どもの内面が充足してはじめて、本当の知性や、社会の平和が生まれるということを提唱した。

私達は皆、子どもの「本当の姿」を誤解して理解しているかもしれない。普段大騒ぎの子ども達がモンテッソーリの「子どもの家」で過ごす様子を見学すると、驚く。さぞ大騒ぎでにぎやかなのだろうという予想を裏切る子どもの集中力、シーンとして黙々と作業に取り組むクラスの風景に驚いた。見ていると、40分以上、生き生きとした顔でみんなの雑巾を洗濯しつづける5歳児、せっけんとスポンジの入った小さなバケツを持ち、クラス中の机を拭き掃除して歩く3歳児、同じことをしたいけれど、夢中になって取り組むお友達を邪魔せずに「おわったら、かしてね」と言って待つことが出来る2歳児。4けたの足し算、引き算の魅力にとりつかれたようにお昼ご飯の時間を惜しむ6歳児・・・。どの子も、ものすごく満ち足りた表情。子どもとは、集中する存在なのだ。アンネ・フランクもこのような教育を受けたからこそ、あのような過酷な状況の中、強い意志で日記を書き通せたのではないか。

従来型教育との比較。(※別途、一覧表をパワポから送ります)
・学年別 vs 異年齢:学校以外の社会は、年齢別に動いてなどいない。幼ないころからの異年齢コミュニティでの経験で、小さい子は大きな子を模倣することで自然と学び、大きくなれば小さい子の援助をするようになる。年齢に合わせた自分の役割と振る舞いを自然に身につけることができる。

・自由に歩き回れる vs 椅子にじっと座っていることを強制:現代社会では、自分の必要な人脈や情報を得るために、自分自身の足で動き、判断する人材が求められている。でも学校では、戦争に出ていく兵士や、高度経済成長期の労働者を育てていたころと同じ教育のありかたを続けている。子どもたちは本来与えられたものを受け取るだけでなく、自分のことを自分でできる存在だ。座っていて得ることのできる知識は、非常に限定的だとモンテッソーリは考える。小学生の教室には電話とパソコンが置いてあり、教科書や図鑑で調べ足りなくなった子どもが博物館職員とアポをとり、バス代を調べ、リサーチにでかけることは年に一度の行事でなく日常茶飯。

・モンテッソーリ学校には成績がない: プレゼンやアルバムで教育課程の記録が貯まる。テストもない。それでも国家統一試験では平均以上の点数となる。(暗記式の試験ではないが)

モンテッソーリメソッドは、どんな環境で子どもが集中して学ぶか、しかも自らの内側から沸き起こる欲求を満たすために、ということについての医師による観察的なアプローチから提唱された方法。(マリア・モンテッソーリはイタリアで初めて女性として医師になった人だった)

0-6歳が最も大切:環境からの吸収力は大学生の100倍以上もあるのに、今の教育は、大学に莫大な投資をする一方で、幼児教育はほったらかし。教育環境への人的・経済的配分が反対。例えば、大学生なら3年間留学して一生懸命勉強して外国語でコミュニケーションできるようになるが、同じ期間 0-6歳児が外国で過ごせば学校へ行かなくても母国語並みに習得する。そのような高い吸収力が、言語だけでなく、思いやり・創造力・数学の理解など全ての分野にあるのが0-6歳児というとても貴重な時期なのだ。この時期に、その人間の人格の大半が形成される。

モンテッソーリメソッドの家でもできる環境づくりとして、子どもサイズの本物をそろえると良い。お手つだいや自分のおやつの配膳・片付け。踏み台と小さい本物の道具があれば、4歳児だっておやつも兄弟の分まで自分でつくる。

モンテッソーリメソッドは、自己形成ができる学習。数学的概念を体験させる教具にも富んでいる。見た目と寸法の同定(はめこみ円柱)、抽象的な数字と具体的な数の概念の一致。数の概念は体験に裏付けられないと、抽象度が進んだ時に躓く。数多くの実体験を持つことが非常に大切。

人に自分で会いに行く、香りをかぐ、手で触れる ⇒ 実体験の量でその後の創造力が大きく変わる。実体験がないとメディアのイメージだけしか持てない。本物がわからない。例えばイスラムと聞いて、ピースボートでイスラムの人達に親切にされた子どもたちは、親切にしてくれたおじさんや仲良くしてくれた子どもたち、コーランの優しい響きや、おやつにもらったデイツの甘い香りをはじめに思い出すことができる。実体験がなく、メディアで報道される『テロ・紛争』のイメージでしか中東を描くことができない大人との、なんという差か。

6-12歳のモンテッソーリの小学校には時間割がない。いわゆるプロジェクト学習を行うことが多い。たとえば、戸外を散歩し、自然に触れ、子どもたちが自分たちで興味を持つに任せ、いい教材に行きあった時に子どもたちにストーリーを語って聞かせる。その環境、子どもの関心にピッタリあう方法で、この世界を紹介するストーリーを話すことができるよう、教師はトレーニングされている。

例えば、ハチのお尻になぜ毛が生えているか?ハチとしては無意識に花から花へ飛び歩き、蜜を集めているつもりなのに、それが受粉のお手伝いになっている。ミツバチが絶滅すると、その4年後には人類もいなくなる、とアインシュタインは言いましたが、生物の宇宙的役割や、生態系の繋がりを子どもにわかりやすく伝える話。また、海になぜサンゴが生まれるかなど。大西洋側に流れ込む大河が山々から削り取ってきた炭酸ナトリウムをそのままにしておいたら、海は塩分過多になってしまう。他の生物も生きることができるように、その塩分を海がどう消化するかという壮大なストーリーの英雄が珊瑚なのだということがわかる。子どもたちは生物や世界の話を哲学として聞き続けるうち、自分の生まれてきた役割を考えるようになる。

先生はメッセージの答えは出さず、ストーリーを語る役割を取る。どのようなきっかけからでも、世界の全体像を語れるような膨大な知識を持っている。

子どもの環境からの吸収力は、誕生から6歳で最大だった。小学生時代にいちど少し落ち着き、中学生でもう一度膨らむ。この時期は「社会的胎児期」と呼ばれる。この社会での自分の役割は何か、模索し続ける時期。対外的な振る舞いや他者との関係性を学習するのにぴったり。この時期の『社会に貢献したい』「自分の役割を知りたい」というエネルギーを受験や部活で抑え込んでしまうのは良くない。モンテッソーリでは、畑をやって、自分の働きかけで何かがはぐくまれるのを体験したり、収穫物を売ることで小さな規模で経済を学んだり、寄宿制の学校で、炊事や掃除、洗濯をルールから仲間と決めて取り組んだりという体験を通じて、社会の成り立ちや社会との関わり方を学ぶ。

小野寺愛さんは、地球一周の船旅洋上の保育園運営のほか、地元でも子どもたちの生きる力を育みたいとの思いから、「海のようちえん」という自主保育のイベントも行っている。ルールは三つあり、①大人は「危ない」と言わない (⇒ 危なくないように環境を整える)②子どもの喧嘩に親は極力介入しない(⇒実は、子どものためではなく、相手の子どもの親がいる手前、うるさく声かけしてしまっている親ばかり。やめましょう、と決めるとみんなが過ごしやすく、子どもは問題解決を自分たちでしようとするために、グッと育つようになる) ③大人も思い切り楽しむ。(⇒子どもを「遊ばせる」という意識でいないか?大人も一緒に感動する、大人も一緒に思い切り笑うことが、大人の精神衛生にはもちろん、子どもの成長にもとてもいい)その3つのルール設定と、海や山という環境が整うだけで、大人も子どもも1日が終わるころには満ち足りている。集まった朝は「海に足つけていいの?」「これ使っていいの?」と大人に許可を求めていた子どもたちも、帰るころには実にのびのび、自分で考えて、自分で動くようになっている。このような考えに共感され、共に実践していく仲間を増やしたい。

子どもたちの知的自律性を育てるのには、社員教育や大学生では遅すぎる。
参加者のお子さんたちは?0-6歳:
6-7割・小学生: 2割適度・それ以上: 5%位

大人の立ち位置を見直し、大人が主役の教育現場ではなく、大人は子どもの学びを促すファシリテーターと考えるようにしたい。小野寺さんの子どもさんたちは、2年に1回はピースボートでモンテッソーリ教育を受けるが、普段は公立の保育園。保育園では、一斉保育を行っている。地域の予算的にも先生の数も限られていて、どうしても先生が子どもたちをせきたてるようにして外に出して遊ぶ(部屋の中で過ごしたかった子もいるかもしれない)、部屋に入る前は一列に並んで手を洗う(出入りを一斉にするから、子どもにとっては待ち時間が長い)、出されたおもちゃで遊ぶ(自分で選択し、遊び、自分で片づける自由がない)など、よくある日本式の教育。先生はいつも一生懸命に走り回っていて、「はやくしなさ~い」「もうおかたづけよ~」と大声を出している。

モンテッソーリの環境では、6歳の子どもが小さな子どもを巻き込みながら自分たちで料理をしたり遊んだりする中、先生は見守りに徹していて、とても静か。パッと見、どこにいるかわからないほど。退屈そうな子どもが目についた時には、こんなのどう?とさりげなく、その子が関心を持ちそうな活動を提案することはある。小学校では、先生はきっかけを与えるだけ。子どもたちが興味に沿って自主的に調べ、博物館にフィールドトリップをするときも子どもが博物館員とアポをとって自分たちでアレンジする。中学生になるころには、社会の中での自分の立ち位置を実践をとおして模索しているので、高校生~大学生になるころには、ほっておいても自分の目的のために学び続け、行動し続ける存在になっている。

大人は沢山の引き出しをもっていて、必要に応じて語れる準備をしている。(非常に豊富な知識)スウェーデンの教育学部は4年間の大学生活の間に300回の教育実習を行い、その後2年間の専門課程が必要。その間に厳しく精査されて、現場に入るときにはなりたい教師像が固まっている。教師の給与が平均収入より高いということでもないが、社会的地位は高く、必ずなりたい職業の上位である。

日本でも先生の資格を高めていくことで、教育の質を高めていくことが必要ではないか。
このような教育手法では、逆に大人が試されていると感じる。手を出さず、我慢して見守ることができるか。問われているのは大人や親ではないか。

モンテッソーリの二つのテーマ。まず、「子どもが主役、大人は黒子」。大きな声で子ども達に指示を出す先生の姿はない。一見、先生がどこにいるのかわからないほど。先生は、指示を出すことでなく、ロールモデルとなることで子ども達の育ちを援助する。教室の中での一挙手一投足を子どもは見ていると考え、子どもの手本になるように行動する。例えば、「椅子を片付けなさい」と言ってまわるよりも、自分自身が座っていた場所から立ち上がる時、必ず丁寧に椅子をもとに戻したり、子どもに求められて何かのアドバイスを与えるときには子どもと対象物を妨げないように斜め後ろから小さな声で行ったりする。集中している子どもに話しかける必要がある時には、そっと肩に手を於いて、「時間が空いたら教えて」と声をかける。その大人の行動を子どもはしっかり見ていて、すべて真似するようになる。自分が夢中になって取り組んでいるときには邪魔しないでほしいのと同様、友達にもそのような時間があることを理解し、穏やかに思いやりを持ってふるまうようになる。年長の子どもが、年少の子どもに何か教える時も、見事に、その子の関心を邪魔しないように、さりげなくサポートすることができる子どもが多い。

子どもの持っているものを最大限に「引き出す」には、とにかく子どもをよく観察し、子どもにとってそのとき必要なものを、必要なだけ提供することが大切。褒美も罰則も、過度の期待もよくない。親はどうしても「医者になってほしい」「できれば優秀でありますように」「優しい子になりますように」と期待や想いをかけすぎてしまうもの。植物を育てるときを考えると非常にわかりやすい。ランダムに混ざったチューリップの球根のひとつを取り出し「ピンク色の花が咲きますように」と願ったり、ピンク色の水やりをしてもしかたがない。球根の生きる力を観察して、どの季節にどのくらいの間隔で植えるか、水やりの頻度やひあたりなど、育ちに必要な環境を整えることはとても大切。でもそれ以上にできることはない。大人の役割は、必要とされるサポートと環境を整えるだけ。思いを押しつけずに観察することが大切。

2番目のテーマは、子どもの自主性を育てること。日本は全員で同じことをすることをよしとする。木村さんより質問。そのような日本の環境で、自主性を持って育ってほしいが協調性も欲しい。一斉教育はしないモンテッソーリ教育の環境で、個々人が興味に即してそれぞれの行動をしていて、協調性は育つのか?

子どもたちは集中して自分たちの仕事に取り組んでいるために、内面からフルに満足している。他者へのサポートも、気づかいを持って行うことができる。オーケストラも、各奏者がフルに育っていない状態で「音をあわせて!」と言ったところでいい演奏にはならない。それぞれの育ちが完成した状態で、はじめて調和する。同様に、ひとりひとりの子どもの内的自立が完成した状態をつくってはじめて、社会の平和、共感力、共に動く力になる。

モンテッソーリ園を卒園してから一般の学校に行ったらどうなるか、との疑問が沸く。順応することができないのではないかと。でも現実は反対で、先生方に「どうやったらこんな子どもが育つのか?」と驚かれるような、他者への思いやりをもった振る舞いを自然に行う。クラスメートが給食の牛乳をこぼし、他の子が「いーけないんだ、いけないんだ」とからかい、その子が泣きだすしかないような状況で、さっと立ちあがって自分の雑巾を持ち「こぼしたら、ふけばいいんだよ」とささっと片づけてしまうような子ども。幼少時、自分でやりたいことを選び、自分で選んだことととことんむきあって夢中に取り組んだ経験のある子どもたちは、どんな状況でも自分で判断・決定し、自分の決定には責任を持つ。

今の時代で欲しい人材は、目の前の課題を解決するために自分で情報を収集し、人脈を作り、責任を持って行動にうつしていけるような人ではないか。戦争時に従順な兵士を育てたかった時代とも、高度経済成長期に労働者を育てたかった時代とも違う。それなのに、教育のありかたはその頃と大きく変わらない。今の教育を受けて育ち、社会に出ていきなり「あなたはどうしたいか」と聞かれてもわからない。小さな時から自分で選んで行動していれば、自分の人生を選べるのではないか。

大崎さんのお子さんのケースでは、NY国連本部勤務時代、近かったからという理由でモンテッソーリの小学校に通っていた。学年別のクラス編成や、カリキュラムがないことに親ははじめ、皆不安を感じていた。が、蓋を開けてみれば、どの子もNY州の共通テストで抜群の成績を収めていた。ティーンエージャーに成長された息子さんは、自分を持っていてみんなにやさしく子ども好き。思春期の葛藤も主なテーマは社会や親への反抗と言うよりも自己のアイデンティティの確立だったようで、文学や映画に没頭することで乗り越えたようだ。モンテッソーリ教育の成果かと思う。

モンテッソーリの学校に入れなくても、家でできることから始められる。まず「子どもサイズの本物」「自分でできた」をキーワードに、家を再度見渡してみて。家のいたるところに踏み台を置いて、親に助けを求めなくても棚のものが自分で取れるように。小さな雑巾・箒とチリトリを用意して、掃除ができるように。ジャーの形に配慮すれば2歳児にも液体の移し替えもできる。

異年齢の交流は地域で。今の親御さんたちは地域を知らずに育った人達もいる。どうやって地域で子どもを育てていくのかを考え、地域での子育てを推進することは大切。日本はマス教育でもよかった時代があった。地域があり、母親が専業主婦だった時代は、異年齢社会での人間関係や学び合いは、放課後に十分体験することができた。今はそうでないから、私達子育て世代が考えていかないと。

地域の子育てのケースとして、イタリアのレッジョ・エミリアがある。第二次大戦後にムッソリーニの全体主義を反省し、市民が子どもたちを財産として地域で育てようと始めた。プロジェクトベースの活動を見守る担任のほか、美術の専門家が入り、子どもたちの創造性を美的に表現させる。

日本では、「まちの保育園」がそれを体現しようとしている。去年、練馬区の小竹向原に1園できた。園にはカフェがあり 街の人たちも利用できる。代表者(松本氏)は、「保育や子育ては20年後の日本の未来をつくる大切な仕事」とし、関わる人達(保護者・保育者・教育者)の地位を上げたいと考えている。園の設備は特別な設計で、子どもたちを観察し、必要に合わせて形を変えていく。子どもたちの成長の様子は写真や映像で撮って親と共有する。総時間契約で子どもを預けられる(タイムカード)。親子に一番いい時間に合わせて園がよりそうという思想。カフェなどはグラウンド・レベルより1m低くなっていて、子ども達もジロジロみられている間隔は少なく、子どもたちの楽しい声が聞こえたり、雰囲気が伝わる程度に配慮してある。

レッジョ・エミリア創設者のローリス・マラグッツィの詩を紹介したい。子どもたちの100の言葉「子どもには百とおりある。子どもには百のことば・百の手・百の考え・百の考え方・遊び方や話し方・百いつでも百の聞き方、驚き方、愛し方、歌ったり、理解するのに百の喜び・発見するのに百の世界・発明するのに百の世界・夢見るのに百の世界がある。

子どもには百のことばがある(それからもっともっともっと)けれど九十九は奪われる。学校や文化が頭とからだをバラバラにする。そして子どもにいう。手を使わずに考えなさい・頭を使わずにやりなさい・話さずに聞きなさい・ふざけずに理解しなさい・愛したり驚いたりは復活祭とクリスマスだけ。そして子どもにいう。目の前にある世界を発見しなさい。

そして百のうち九十九を奪ってしまう。そして子どもにいう。遊びと仕事・現実と空想・科学と想像・空と大地・道理と夢は一緒にはならないものだと。つまり、百なんかないという。子どもはいう。でも、百はある。」

松本さんは「まちの保育園」アライアンスも設立した。来年は、全国に4つの「まちの保育園」ができるそう。近所の小学校からも同調したいとの声が掛った。小学校も地域にひらいていくということに挑戦したい、と近所の校長自ら声をかけてきた。今後は、専門学校やワタリウム美術館との協力で、教師を育てる機関へ発展させて、事業のサステナビリティを担保したいとのこと。

レッジョ・エミリアでは、町の予算配分の優先は、文化財の保護と教育。日本は、主要国に於ける公財政教育支出の対GDP比がOECD中最下位。学校教育費の対GDP比、日本はGDPの4.3%。アメリカは 2001-2011に 33%伸長・英・仏も大きく伸長する中、同期間に日本の教育予算は増えていない。

休憩をはさんで、後半は3-4人の小グループになって前半の対談に纏わるそれぞれの体験シェア。私の参加したグループでは、学校に働きかけて国際教育を行ったり、腸詰実習をしたりというお母さんがいらっしゃる一方で、学校がオープンじゃないので何もできないとおっしゃる方も。公立の方が自由度が高いのではないか、とか、ご自身が子どもの頃に私立に行ったので近所に友達がいなかったので、地元の学校に入れて、地元の関係をつくりたい。また、私立に行かせると、価値観や触れる範囲の人が偏るのではないか、などの話がつきませんでした。

その後はグループのお話や子育て体験のシェア、また小野寺さん・木村さんへの質疑応答。
いま20代のお嬢さんを育てられたお母様から、子どもに手をかけ過ぎることについての問題が提起されると、小野寺さんからも愛ある放任の大切さのお話。モンテッソーリは子どもの行動を褒めすぎない・選別しない。たとえば、子どもの描いた絵は壁にかざらない。世界中の子どもが、10歳くらいになると「ぼくは上手じゃないから」と描くのをやめてしまう。本来、表現活動と言うのは「作りたい」「描きたい」と内なる欲求から行うもの。親が「これは上手だね~」と大人の目線で選んだ絵を壁に飾ることは、「あ、そういう絵が大人に評価されるのか」と子どもに考えさせてしまうという意味で、それなりにリスクをともなうものであると理解していたい。子どもの内なる欲求を外からの評価で規制してしまうことを、とにかく避けるようにしたい。親というものは、子どもが育っているのに自分が育てている気分になってしまう。ポジティブな言葉かけは大切だが、「いま、とても集中して描いていたね~」「たくさんの色を使ったね~」というふうに、子どもの存在そのものを肯定する、行為を肯定するが、結果に優劣をつけないことが大事。

さらに、見守りと危険な行動の制限のバランスをどうすればいいのか、とのご質問。小野寺さんからご自身がモンテッソーリのベテラン教師から受けられたアドバイスの紹介。何か上手くいかなかったら、自分や子どもを責めるのではなく、とにかく「環境を整える」。Ex.「危ないからやめなさい」というのを減らしたかったら、危なくない環境にする。スーパーで泣き続ける子どもに「どうしてそんなに泣いて、私を困らせるの」と言うのではなく、そもそもその時間にスーパーに行かずに済むような方法を考える。問題があるときに、その原因が自分や子どもの中にあるとは決して考えないこと。「自分で思っているほど、子どもにとってあなたは重要じゃない」と言われたとのこと。

やってはいけないことをどうやって躾けていけばいいのか?との質問。国際モンテッソーリの考えかたには、「自由と責任のバランス」ということばがある。小さな子どもに「どこまでも自由」は大冒険すぎる。枠やルールをあらかじめ決めて、「この枠内でなら、なにをしてもいいんだよ」と伝えることは、子どもにも安心感を与える。枠が分からない子どもは、「どこまでやってOKか」を自分で調べるために、わざと親が不快になるような行動をとったりもする。そんな風にして不適切にふるまっているときに「そんなことしちゃだめ」としかる形ではなく、なるべく別の機会に、できれば子どもの行動を肯定する形で伝える。(ex.「今日はおばあちゃんの家で、立ち歩かずに最後までご飯を食べてくれて、ママ嬉しかったな、どうもありがとう」)その場で注意をするときは、意味のない交換条件をつけない。報酬もつけない。理由がわかるように伝える。絶対的にダメと抑えつけるのはダメ。「pre-negotiated consequences:あらかじめ交渉されていた結果」であることが大切。枠組みとルールが子どもにわかるかたちで、普段から説明されていなければならない。

参加者の方から、環境や社会の変化にどう対応するのか、という課題提起。外で缶けりも難しい・連絡網もない コミュニティがなくて育てるのが大変。どこにそういう場所がつくれるのか?公園がまだお母さんと子どものため、地域のためになっていない。地域の高齢者が植物を植えたり、防災で利用したり。その中でも木に登ってはダメなどの制限ができているが、そんな不自由な場所でいいのか。公園を活かして、人と人が直接触れ合う場にできないか。

対談者のお二人もGMNで何かを作れないか?と構想されているとのこと。GMNで小学生の夏休みプログラムを作れないか、また、例えば地域のプレイステーション構想もある。地域の人が遊びを見守る・大人の関わりも見直す、ちょっとの時間を子どものために使えないか。また、女性の金銭に換算されない労働の価値を高めたい。家事労働・地域との関わりなど。

成長過程での敏感期について。どの生物にも敏感期がある。○○について集中的に学習して適応できるようになる時期。例えば、2歳半から3歳半でどの子どもにも必ず訪れる「秩序の敏感期」。「この世界はこうなっているのか」と自分なりに世界の秩序を見つけていく時期で、この時期の子どもにとって、環境の中のあるべき場所にあるべきものが収まっていることがとても大切。たとえば、来客があり、普段父親が座っている椅子に他の人が座っていると「それはパパのいす~!」と癇癪を起して止まらない。普段、靴下をはいてからズボンをはいているのに、その順序が逆だと気に障ってしかたがない。ごみ箱の位置が変わったら「ここじゃない~!」と激怒。なにもワガママだからそうなってしまうのではなく、成長の大切な一過程なので、この1年はそういう時期だと思って、とことん寄り添ってほしい。そうすることで、子どもの生涯のしっかりとした秩序感が守られる。・・・というようなことは、知っていれば簡単なことなのに、そのことを知らないと子どもを抑えつけてしまうようなことも起こる。今は核家族化の中で子育ての伝承がされない。GMNは、モンテッソーリなどの理論的裏付けがある中で、新しい子育ての知恵を共有する場としたい。母親だけで育っていくのではなく、先生の友達がいらしたら、ぜひ先生たちもひき込んで欲しい。

参考図書:
クーヨン「モンテッソーリの子育て」
深津高子「デチタ・でチた・できた」
クラウス・ルーメル「モンテッソーリの精神」
天外伺朗「生きる力の強い子を育てる」

最後に、アトムタワーのご紹介。大人が一日中過ごしたくなるような素敵な生活道具のショールーム。プロ用の家具や道具で、オーダー家具もある。34歳の職人さんのカンナの技による手作り。電動の機械を使ったものは、無理な力をかけるため5-10年で荒れてくるが、カンナの丁寧な仕事は年月が立つほどどんどん良くなる。孫子の代まで受け継がれる家具を作りたいとの思いで作っていらっしゃるとのこと。また、今は震災後に海外のデザイナーさんの作られた「世界一大きな音の出るフエ」を販売し、売り上げを東北支援に寄付されている。

小野寺愛(おのでら・あい)紹介:

「ピースボート子どもの家 」代表、サーファー、2児の母。旅とウィンドサーフィンに明け暮れた学生時代、外資系証券会社勤務を経て、2003年より国際交流NGO[ピースボート」 勤務。現在、世界初の洋上モンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家 」のコーディネート業に夢中。ピースボートならではの異文化体験と、子どもの「自分でできた!」を応援するモンテッソーリ教育で、「平和は子どもからはじまる」を実践中。自身も、2人の娘たちとともに7度目の地球一周の船旅に参加。ピースボートのほか、地元逗子・葉山の自然を親子で楽しむ「海のようちえん」の運営や、子育て世代のgreen drinks、「green parents party」の立ち上げなど、地域活動にも取り組んでいる。
編著書に『紛争、貧困、環境破壊をなくすために世界の子どもたちが語った20のヒント』(合同出版)、共著に『世界から貧しさをなくす30の方法』(合同出版)、訳書に『大量破壊兵器カラシニコフを世界からなくす方法』(合同出版)、ほか、雑誌『ソトコト』『Blue.』などに寄稿。

木村麻紀(きむら・まき)紹介:

環境と健康を重視したライフスタイルを指すLOHAS(ロハス)について、ジャーナリストとしては初めて日本の媒体で本格的に取り上げて以来、地球環境の持続可能性を重視したビジネスやライフスタイルを分野横断的に取材し続けている。 時事通信社記者を経てフリー。ドイツ、米国での取材活動、米コロンビア大学経営大学院客員研究員などを経て、環境とCSRと志のビジネス情報誌「オルタナ」副編集長に。
2008年に男の子を出産。最近の関心事は「『生きるように働く』ための場づくり」と「(どんな環境でも生きて行ける)人育て」。著書に 「ロハス・ワールドリポート―人と環境を大切にする生き方-」(ソトコト新書、木楽舎)、「ドイツビールおいしさの原点 −バイエルンに学ぶ地産地消 −」(学芸出版社)。編著に「「社会的責任学入門〜環境危機時代に適応する7つの教養〜」(東北大学出版会)など。

プログラム:

12:50 開場
13:00 オープニング
13:15 対談:小野寺愛x木村麻紀 「2020年の教育と子育てを考える ~モンテッソーリ教育、北欧の教育事情から学ぶ『人間力』の育みかた~」
14:45 Q&Aとディスカッション
15:20 お知らせ
15:30 懇親会 
16:30 閉会

大使館との国際理解のイベント情報

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